昭和初期の四国高松。梶岡清太郎は、石津一家の代貸になった。先輩の代貸小池も喜こんで迎え、二人は兄弟の契りを交した。そんな清太郎に、芸者の小新は好意を寄せていた。二人は、力を合わせて、雨宮老人の石切場で働いていた。そんなある日、石津親分は、賭場で石津組の縄張を狙う、三木本と笹井の奸計にかかり、清太郎は親分の替りに、三木本を刺し、傷を負わせた。そして、一年の所払いになり、旅に出た。留守中、石津は、連合会々長を辞退していたが、再選の席上で、三木本らに恥をかかされ、二人に向かったが、卑怯な子分たちの兇刃に倒れた。北陸路の旅先で、尾山組の好意で、その事を知った清太郎は高松に戻ろうとしたが、所払いの身故、自重した。一方、小池は、謹慎中の石津組を守っていた。三木本組は、残った石切場を狙って、人夫の引き抜きに出たが、ちょうど、所払いが解けて帰ってきた清太郎が止めて、...
銀座の“旋風児”とは、二階堂卓也のことである。神出鬼没の行動のせいだろう。職業は装飾デザイナー。男らしくて、粋だそうだから、女どもが大騒ぎするという。卓也はボス王徳宝が大粒のダイヤを売りさばき、キャバレー“モナコ”の建築資金にしているのを知った。情報屋の政の報せで香港へ発った王の後を追った。香港で、王を狙撃しようとした明子という女と知り合う。彼女の父は戦時中、軍属だった王(実は堀田という日本人)中村、木原、丸山の一味にスパイだと無実の密告をされ、殺されたのだ。堀田は国民の強制献納品のダイヤを大量に奪って、外国人になりすまし銀座のボスになったという。卓也は明子を男装させ、羽田へ連れ戻った。彼は一味に対する挑戦広告を東都タイムズに載せた。モナコの奥の一室に、丸山を除く三人が集った。東タイの荒木は木原の娘久美子の婚約者だった。彼が話を聞こうとした時、木原は...