1930年の竣工から85年を迎えた2015年現在、神奈川県横浜市の山下公園に保存され博物館船として公開されている「氷川丸」の歴史を描いた長編アニメーション映画。監督は「それいけ!アンパンマン」劇場版シリーズに携わってきた大賀俊二、アニメーション制作は虫プロダクション。1930年5月、横浜港からアメリカシアトルに向けて処女航海に出発した氷川丸を見つめる少年平山次郎。関東大震災で母親を亡くし、そば屋の屋台をひく父源三を手伝いながら暮らしている次郎は、いつか船乗りになりたいと願っていた。源三の助けもあり、やがて氷川丸に乗船して見習い調理員として働くことになった次郎だったが、1941年、戦争のため**に徴用された氷川丸は海軍特設病院船となり、次郎にも赤紙が届く。
1945年8月15日の終戦以降、時代劇にとって生命線ともいえるチャンバラが、7年にわたり御法度とされた時代があった―。
物語の舞台は、戦後まもない京都映画界。映画監督、松尾京一郎(永野宗典)の「ヨーイ、スタート!」の掛声とともに、時代劇の撮影がまさに始まろうとしたその瞬間、撮影現場に乗り込んできたのは、進駐軍のジープ。「映画における日本刀の使用は認められません、今すぐ撮影を中止しなさい」彼らは、問答無用で役者たちの手から刀を取り上げていく。呆然とするキャスト、スタッフに対して冷然と進駐軍の意向を伝えるのは、日系人通訳、瀧澤紅子(鈴木杏)だった……。