“岚宽寿郎” 共找到 “85” 个相关影视

右門捕物帖三十番手柄帯解け仏法
正片

1932  

3

右門捕物帖三十番手柄帯解け仏法

  時代劇スタア嵐寛寿郎の、鞍馬天狗に並ぶ代表的キャラクター「むっつり右門」の登場する「右門シリーズ」第七作目。新興キネマが配給し、1932年(昭和7年)9月15日に浅草電気館で公開された。併映は不二映画の『金色夜叉』。
  1929年(昭和4年)、東亜キネマ京都撮影所が製作した嵐寛寿郎主演、橋本松男監督の『右門一番手柄南蛮幽霊』以来、1931年(昭和6年)の第5作、仁科熊彦監督の『右門捕物帖十八番手柄』からは製作元が嵐寛寿郎プロダクションに移っても、継続して同シリーズの脚本を執筆してきた山中貞雄が、同シリーズにおいて初めて監督した作品である[1]。
  原作は、佐々木味津三の短篇「帯解け仏法」である。なお、この原作は『右門捕物帳』シリーズとは別個の短篇小説である。
  上映用プリントについては、いずれのヴァージョンも現在、東京国立近代美術館フィルムセンターに所...

小笠原壱岐守

正片

1932  

8

小笠原壱岐守

  本作は当初、仁科熊彦監督が撮るはずだったが、仁科監督が雲隠れしてしまい、やむなく山中貞雄が監督することとなった。監督デビュー作『磯の源太抱寝の長脇差』、第二作『小判しぐれ』が興行的に振るわず、寛プロとしても注力した超大作だったが、山中としては自ら望んでの監督ではなく、乗り気ではなかった。
  嵐寛寿郎もプロを挙げて大掛かりな宣伝を行い、「寛プロ全力投球」と称して主題歌の募集まで行った。しかし興行的には大失敗、初日の第一回で観客はわずか五人という惨敗で、あまりの不入りに上映を打ち切る館が続出。映画誌からも「失敗作」と酷評され、4日で興行打ち切りとなった。
  アラカン自身は「作品の出来、これは最高に良かった、失敗作やとゆう人もおるが、興行価値は十分あるシャシンでした」、「結局むつかしいシャシンや。芸術大作やという印象でんな、つまり客が入らんように宣伝したんだ...