京都洛北にある西入庵の美貌の尼僧智英尼は親寺の永光寺の住職秀謙老師の紹介で戸崎和恵という女子高校生を預かることになった。十七歳の和恵は、伊勢湾台風で両親を失い、京都の叔父に引取られたが、厄介者扱いされる辛い生活の中で、次第に反抗的になり、飲酒がばれて停学処分を受けたことから、口論のすえ養母の叔母に刃物をつきつけるという事件を起したため、檀家の叔父夫婦の依頼で、智英尼のもとにあずけられたのだ。しかし、今まで、気ままな生活を送ってきた和恵にとって、妙仙尼や智英尼とともに起居をともにする尼寺の厳しい戒律にたえきれず、たびたび尼寺を抜けだしては、歓楽を楽しみ、智英尼を心配させた。だがある日、和恵と机を並べて西入庵へ書道の稽古に来ていた娘が、ことさら智英尼に甘えるのを見て、嫉妬した和恵は、狂ったように尼寺をとびだし、その途中三人の痴漢に襲われ、あわや、と...
大阪西成釜ヶ崎。島村組々長島村清吉は、紋付袴の盛装に山高帽の出で立ちで天王寺の料亭で行われている西友会藤之江一家三代目襲名披露式の会場へ乗り込んだ。だが、西友会会長上津原と石橋組々長に押し帰され、赤っ恥をかかされて腹の虫が納まらぬ清吉は、妻に「組を解散する!」と打ち明ける。それは堅気になるという意味ではなく、でっかい代紋をものにして西友会を倒すということであった。清吉と代貸の譲次は、譲次自身が喧嘩状となって西友会に乗り込んだ。喧嘩支度を整えて譲次の帰りを待っている清吉のところへ、譲次を連れた関東の人斬り常と呼ばれる石堂常男が入って来た。清吉と石堂は盃を交わした兄弟分だった。石堂は西友会上津原の客分で、この喧嘩を止めるために来たのであった。その翌日、石堂の助言もあって清吉と譲次は、男の代紋を求めて修学の旅へ出る。